この曲は、このギターを弾いて歌いたい歌です。ギブソンの1930年代L-OOというスモールギターです。ギターのことは詳しくないし、コレクターにもなりたくありませんが、乾いた枯れた音がします。煤竹のような黒光りが時の重さを物語っていますが、30年代といえば、戦前の昭和一桁代、原爆の時もすでに生まれていた筈で、当時どこに住んでいたのでしょうか・・・アメリカ人だったのかなって想像できます。

とりあえず、この島では唯一人の戦前生まれの最長老ということになりますので、平和を祈る歌は、皆さんも是非このギターを弾いて、長老の乾いた美声を島に響かせてください。

楽器屋さんでは、古くて綺麗、状態のよいものが貴重だと勧められますが、私は、「弾いてなんぼ」だと思っていますので、弾き込まれ、年相応の年輪を感じさせるギターが好きで、このギターはそういう意味で大切に弾き続けたいギターです。

ギターに愛情を持って接してくれる人であれば、ご遠慮なく弾いていただきたいと思います。

                     HIROSHIMA          MOGURA

                   Capo3

                           2013.11.29

 

    C   Em F      C  F     CAm F/      C

遥かようこそ 広島の街へ 平和を祈り続ける金輪島へようこそ

 

   C     AmF             G  C      Am             G

その昔この街にピカドンが落ちて真っ黒なキノコ雲空高くそびえ立った

Am    Em     F     C  Am        Em  F             G

何十年も経てば 記憶は薄れ 歴史の教科書の中閉じ込められるかな     

   C    Em F         C  F   CAmF/  G      C

でもね 君達の時代がいつの日にも 心豊かで平和であればそれでいい

    

その昔僕の親父は お国のために その命捧げると 特攻隊を志願したらしい

どこかの国で起こる自爆テロと どこが違っているか 哀しいけれど僕には分からない             

でもね この国が今豊かで平和なのは 間違いなく親父達のおかげです ありがとう

 

その昔この島に体中火傷を負った人々が運ばれ 今も安らかに眠り続ける

多くを語らなくても大切なこと みんなが感じてくれたら 僕はそれでいいと思うから             

だから君達も平和を願う想い 命のともしび絶やさないでください

遥かようこそ広島の街へ 平和を祈り続ける金輪島へようこそ

機会があるごとに歌い続けたい歌です。

大学を卒業して広島に来て、34年になります。生まれ育った下関で過ごした時間が18年ですから、もう広島の人間という自覚があって、長く作りたいと思っていたテーマでした。

かつて相続税の調査で80才とかのお婆ちゃんから聞いたピカドンの話は、20才代の私には衝撃でした。

 

私の父は、一昨年、亡くなりました。この写真は、一緒に、おやじの行きつけの散髪屋に出かけた時のものです。

父は、S2年、下関の郊外の旧豊北町生まれで、終戦の年に18才になる年齢です。宇佐の航空隊で訓練を受け、偵察機に乗っていたらしく、あと数日で特攻隊の順番が来たと子供の頃によく聞かされました。子供の頃、お婆ちゃんから「終戦後に、研ちゃん(私の父)が帰って来なかったので、死んだのかとあきらめていたら、近所の人から「見かけたよ」という話を聞き、むかえに行ったんよ。死ねなかったことが恥ずかしくて隠れてたんよ」と聞きました。

母が死に、父のボケが進み始めたころ、車イスを押し、下関の街を散歩しながら、色んな話をしました。最後の頃は、戦争に行ったことすら、忘れてましたが「終戦後、おばあちゃんがむかえに来るまで隠れていたらしいじゃん」ってきくと、「近所の人とか沢山の人に旗ふって見送られて行ったからなぁ、なんか照れ臭くてなぁ・・・」って、はっきり覚えていました。母親がむかえに来てくれたことがよほどうれしかったんだと感じました。好きな歌も、いつの間にか「軍歌」から「故郷」に変わっていました。痴呆が進んでも、最後まで残っていた記憶は「故郷」とそこにいる「母親」でした。

 

父、18歳。高校生位の年齢で・・・戦争に行き、お国のために死ぬつもりだったんだと。

それから、私の父は、信じられないくらいによく働き、贅沢はしませんでした。

 

50才を過ぎて、やっと、こういう重たい歌をストレートに作ることに抵抗がなくなりました。逆に、若い時に作ってたようなラブソングは恥ずかしくてもう作れません。

先日、中学時代からの友人に久々に会って、私はもう忘れていましたが、高校時代に私が作った歌を口ずさんでくれました。照れくさいですし、軟弱な歌ですが、それはそれで嬉しいものです。

17才から作り始めて、もう39年になります・・・

最近の曲作りは、例えば、伝えたいこと、その時思ったこと、感じたことや物語、風景など、はっきりと書きたいテーマを持って一気に歌詞を書き、思いがしっかり伝わるような馴染みやすいメロディーをつけ、後からテーマに沿って言葉を丁寧に選び直すイメージが多いです。

若い頃からすると、カポ3~4個分下げないと歌えませんが、まだまだ、現役で、50才の親爺らしい歌を作りたいと思っています。