2022年9月 ◇◇脳梗塞 目薬失明事件 その1◇◇

 

 10年以上前に、緑内障と診断され、病院を転々と変えて、通院していました。

 ただ、入院の約3年ほど前から、病院に通っていなかったです。そのままになっていた目薬が冷蔵庫にあったことは覚えていました。

 いい訳ですが、健康をなめていました。私の不徳の致すところで、原因は私で、私が悪いのです。罰を受けたのだと思いました。

 

 それで、脳梗塞をしたのだと猛反省し、「緑内障の目薬を頂けますか」と看護師にお願いしました。「どんな目薬を処方されていたか分かりますか」と聞かれ、「目薬の実物が家にあります」と、そんなやり取りがありました。

 看護師は、「今は、私が質問しているの。質問にはハイかイイエで、簡潔に答えて、忙しいんだから」と。脳梗塞発症直後、怖い看護師で何を答えたか記憶はありませんが、その後、「期限切れの古い目薬を後生大事に持っている要注意人物」という扱いでした。聞いてくれたら、この目薬を持っていた理由を正直に答たのにと悔しい思いをしました。他にも、様々な嫌な思いをしました。

 

 病院には、とでもお世話になりました。こんな看護師は一人だけで、他の看護師は皆優しいです。ただこの看護師の周りは、ピリピリした感じでした。昼休憩の時など、数人の看護婦を引き連れて廊下を歩く姿は、医療ドラマの悪徳院長のようでした。車椅子の乗り方の注意が半端なく、患者さんがマジで切れていたのを覚えています。

 昨年の2週間のリハビリ入院でその話をしたら、「えっ、患者さんにも、そんな感じなの?」というコメントでしたから、多分、他の看護師はいじめられているんだろうと思い、正直に書こうと思いました。

 

 それで同じ目薬はないけれど、同じ効能の薬を貰ってさしていました。数日後、目が充血していたので、半日リハビリを休み、眼科の病院に行くようにと指示がありました。花粉症で毎年同様の症状でしたから、私は気にしていませんでしたし、眼科の先生に何を言われるかと、気が重かったですが、それも罰かとあきらめました。

  

2022年9月 ◇◇脳梗塞 目薬失明事件 その2◇◇

 

 「杉本眼科」というところで、東大卒の「頑固じじい」という感じの先生です。

 「脳梗塞、そんなの関係ないだろう。ずっと来なくて、勝手に違う目薬をさして、そんな奴は失明すればいいんだ。効能が一緒って、目薬が違えば一緒じゃあないんだよ」とそういう趣旨のことを永遠に聞かされました。

 

 2回以上「失明」というワードを使ったのは、眼科の医師が使う言葉ではないので、間違いではないかと思ったら、「また、使った」という記憶があり、はっきりと覚えています。一言も弁明の機会を与えず、リベンジのチャンスは与えないと。薬を処方したのも私のような言い方でした。罰を受けているんだと思いました。

 

 結局、緑内障の目薬は処方されず、花粉症の目薬を貰い、5日ほどで治りました。

 

 退院する時に、主治医の先生に「眼科どこにする?紹介状を書くけど」と聞かれ、考えました。私への罰として、あえて、もう一度、「杉本眼科」にすべきかと。

 ただ、正直、怖くて行かない可能性があるから、それなら、素直に他の病院にしようと逃げました。 

 今は、腕の確かな信頼できる紹介状がないといけない近くの病院に通ってします。紹介状のおかげです。 

 

 この「杉本眼科」の批判はできません。もともと、健康をなめていた私が先生を怒らせた。自分のまいた種です。

 ただ、驚きはありましたし、事実は、事実として明らかにしようと思います。

 それにしても、発病直後に辛いことが続きました。今になって思うと、あんな思いは、二度としたくないと、健康に真摯に取り組むことができており、辛い思いをしたからこそ今があると感謝しています。